断酒のみでは不十分、デジタル断食、人生の舵

息を吸い、ゆっくり吐く。その間思考はいろいろな場所をあてもなくさまよう。そういえばあれをしておかないと。明日は何の予定が入っていたかな。…。しかし、そのたびにおっと、呼吸に集中集中と自分に言い聞かせる。

このように私は最近瞑想を行っている。これが何らかの効果があるかはまだ体感できていないが、少なくとも瞑想ができること自体が一つの達成であるような気がする。つまり、瞑想により何かを得るのではなく、何かを得ることにより、瞑想ができるということだ。そしてその何かとは、心の平穏であると思う。

断酒をしてから、二日酔いがなくなり、お酒のことが頭から完全に消えることで心の余裕が生まれた。これは素晴らしいことであった。しかしこれでめでたしめでたし、それからも末永く幸せに暮らしました、とはならない。心を蝕むものは世の中にまだまだあふれている。むしろお酒が占めていた部分を、気づかぬうちにじわりじわりと占領し始めていたように思う。それは現代社会において大きな産業となっている。この流れを止めることはできない。明確な意思をもって、それらとの付き合い方を自分で決定し、自分の人生の舵を取り戻さなければならない。

遠回しになったが、要するにSNS、ゲーム、デジタルニュース、ネットサーフィンなどの話だ。これらが人の心に悪影響を与えることは、様々な書籍で言われている。要するにドーパミンを高く保ちたい本能に抗えず、過剰なドーパミンによりストレス、不安が増すのだ。

私は断酒を始めて、その成功に満足し、気が緩んでいた。その後、それだけでは不十分であり、同時にこれらも断つ必要があることに気づいた。本で知識を得るのも重要だが、身をもって体験することに勝ることはない。これらを意識的に断つことで、ようやく心の平穏を取り戻すことができた気がする。

しかし、まだまだ生活に取り入れるべきことや、排除すべきものは存在する。これをすれば全てうまくいきますよ、というように人生はそこまでシンプルにできてはいない。泥臭く、何度失敗しても立ち上がり、一つ一つの障害を取り除いて進んでいく。そこに意味はあるのか。おそらくない。人生に意味などないように。ただ自分の人生を無自覚に生きていくのが許せないのだ。この時間は自分が作りだした自分のための時間だと常に納得しながら生きていたいのだ。他者が作った価値、時間に自分の身をゆだねたくない。これは反抗心か?自然な心の希求か?これも1つで説明できるものではないだろう。思考を止めるな、常に冷静に、真面目に、そして楽しく自分の心と向き合っていくのだ。

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